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2006年10月31日 12:55に投稿されたエントリーのページです。

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バンドとともに歩く人生(第2回)

はじめに
ゲストライターの「モズライト」さんの投稿「バンドとともに歩く人生」の2回目を掲載いたします。全3回の連載モノですので、最初に第1回をご覧いただいたほうがわかりやすいです。
●第1回(10月24日)はこちら
第3回は11月7日(火)掲載予定です。
お読みいただく皆様、ぜひともご感想コメントをお願いいたします!
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中学生になると、バンドを始めた。ギターもグレコのレスポールに買い換えた。レスポール・タイプにした理由は、KISSのエース・フレーリーの影響だった。それで、バンドの仲間と、「デトロイト・ロック・シティ」を練習して、イントロのフレーズがうまくハモった瞬間はうれしかったな!

ちなみに中学の頃、他にストラトキャスターモデル(国産)も買ったし、この後、いろんなギターが増えていくことになる・・・。

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中学生の頃は、バンドの発表(コンサート)を開く機会も場所も限られていた。公民館なんかでコンサートをやったけど、公民館は無料で借りられるかわりに、入場料をとることも出来ないので、機材のレンタルやら運搬費やらを自己負担しなくちゃいけなかった。小遣いも少なかったし、リヤカーで機材を運んだこともあったなあ(笑)

高校生になってからもバンド活動を続けた。アルバイトが出来るようになったので、スーパーの肉屋とか、道路清掃のバイトなんかをした。当時の時給600円から700円くらいだったと思う。授業が終わってから一生懸命バイトして、月3万円くらいにはなった。この3万円は、楽器のローンに2万円、貸しスタジオの料金に5000円、残りは音楽雑誌や貸しレコード、テープ代、といった具合に消えてゆき、音楽以外にカネなんて使えなかった。え?参考書?参考書が欲しいときは親に頼んだら、涙を流さんばかりに大喜びして買ってくれたよ!

ともあれ、高校生になって、バンド活動におカネを使えるようになったのはありがたかったが、それでも貸しスタジオを使うのはかなりの贅沢だった。料金が1時間あたり3000円くらいで、メンバーで割り勘にしていたが、1回あたりせいぜい2時間くらいで限度だった。でも、機材を調達する必要がなかったので、すごく便利になったけどね。

高校生バンドの発表の場として、もちろん学校祭は一大イベントだった。ここでまた「女の子にモテたか?」と言われそうだけど、全然モテなかった・・・。確かにその場では歓声を浴びて、かなり目立つんだけど、「その場限り」なんだよね。翌日学校に行ってもみんな忘れてるんじゃないかと思うくらいに話題にならなかった。それと、気のせいかもしれないけど、バンドの演奏を聴きに来てくれる女の子は、みんな彼氏がいたような!?

また、高校生になると、周辺の高校の学校祭にも顔を出すようになり、交友範囲が広がった。「○○高校で一番ギターがうまいのは△△だ」なんて評判が出てくるようになった。だから、大学も軽音楽部に入っていたけれど、バンド活動の中心は地元のままだった。大学の軽音楽部っていうのは、大学デビューの部員もいるし、大学デビューが悪いわけじゃないけれど、レベルが合わないとこっちも気を使ってしまうから。それに引き換え、地元だと、高校時代につくった人脈があるから、メンバー探しもラクだったし、相手のレベルも大体分かってるから、気持ちよく活動できた。

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コメント (2)

熊婦人:

w( ̄o ̄)w オオー!

うちの夫もやってました・・・

あのときの写真あるわ~~

スキャナー許可が下りたらどこかに

載せる・・・


Bヲタ:

熊婦人さん



コメントありがとうございます。バンドをやっていたご経験のある方には、モズライトさんの投稿って懐かしい感じがするじゃないでしょうか?



熊婦人さん⇒DISCO

くまさん⇒バンド



ということで、投稿お願いしまーす!

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